ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。 一人は窓側のベッド、もう一人はドア側のベッド。 2人とも寝たきりの状態だったが、窓際のベッドの男はドア側のベッドの男に窓の外の様子を話してあげていた。 「今日は雲一つない青空だ。」 「桜の花がさいたよ。」 「ツバメが巣を作ったんだ。」 そんな会話のおかげで死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。 ある晩、窓際のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないようだ。 ドア側の男はナースコールに手を伸ばした。が、ボタンを押す手をとめた。 「もしあいつが死んだら、自分が窓からの景色を直接見れる・・・」 どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時をすごしたいと思ったドア側のベッドの男は、自分は眠っていたということにして、窓側のベッドの男を見殺しにした。 窓側のベッドの男はそのまま死亡した。 晴れて窓側のベッドに移動したドア側のベッドの男が窓の外に見たのは、打ちっ放しのコンクリートの壁だった。
774 :大人の名無しさん :04/06/03 22:33 ID:K+cG6zAd どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ! どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ! どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ! どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ! どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ! どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ! どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ! おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ! 長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ! 病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ! こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ! 正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ! それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ! 775 :大人の名無しさん :04/06/03 22:48 ID:K+cG6zAd もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ! あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ! そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ! それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ! 生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ! 元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ! 病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ! 病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ! どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ! どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ! 776 :大人の名無しさん :04/06/03 23:06 ID:K+cG6zAd 医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ! こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ! それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ! バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ! 忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ! 死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ! こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ! あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ! 何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ! そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ! 生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ! 子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ! たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ! 777 :大人の名無しさん :04/06/03 23:15 ID:K+cG6zAd ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ! そんなあんたが死んで5ヶ月... 子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ! 元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ! 目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ! どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ! 私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ! あんたも遠くから見守って居てください。
私には、兄がいました。 3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。 ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。) 勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。 バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。 苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。 たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。 とても、強かったので、大苦戦してました。 ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。 「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」 私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、 なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。 そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。 葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。 お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。 でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。 だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。 私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。 ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。 そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。 兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。 それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。 その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。 お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。 今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。
私たちは、元々親がおらず養護施設で育ちました。 3つ上の兄は中学を出るとすぐに鳶の住み込みで見習いになって その給料はすべて貯金してました。 そのお金で私は私立の高校、そしてさほど一流でもありませんが 大学へも行けました。 小さな会社ですが就職も決まり、兄への感謝を込めて 温泉へ連れて行きました。 ビールで上機嫌の兄に、「あんちゃんありがとう、 あんちゃんも遊びたかっただろう?」と言うと 「お前憶えてねえんか?『あんちゃん、俺、しあわせになりてえ』って 小6のとき言ったろ?それで決めたんだ、なーんも辛くなかったど お前を『しあわせ』にしてやるのが俺の夢だったかんな」 自分ではそんなこと言ったなんて憶えてません。 思春期には、金髪で人相も悪く、クチャクチャと 音をたてて食事する兄を恥ずかしく思い、 そんな兄に学校へ行かせてもらうことへの 憤りすら感じてました。 その晩は23歳と26歳の兄弟が布団で抱き合って眠りました。 8年前のことですが、ネタじゃないんですよ 本当の話です。
私の祖父は無口で頑固で本当にこわくて 親戚中が一目置いている人でした。 家に行ってもいつもお酒を飲んでいて その横で祖母がせわしなく動いていた記憶があります。 私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと ずっと黙ったままやっと口を開くと 「ビールは何を飲むんや?」でした。 その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。 その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。 当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。 2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。 なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう? 紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって なんで冷たく言っちゃったんだろう? あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが 残されてた・・・ その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日 「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。 幸せになれ。」って書いてた。 おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が 押入れいっぱい詰められていた。
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。 退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。 使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。 その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。 40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。 葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。 最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。 私の一生の保護メールです。 「お前からのメールがやっと見られた。 返事に何日もかかっている。 お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。 孫が生まれたら毎日子守してやる。」
そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。 飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、 良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。 ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。 あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。 それから1週間後、部長の最後の出勤日。 退社のセレモニーが終わるとみんなそそくさと帰って行ったが 部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。 送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。 しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。 俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。 原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。 話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。 ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。 横に添えられたメモにはこう書いてあった。 「これぐらいはいただいても良いはずだ」 俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。 すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。 俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、 「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。 貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの 母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ。 どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。 これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の 前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。 母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。 去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。 泣いたね。初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。 まあ給食費盗んだのは俺なんだけどね。
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。 当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。 いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。 それをばあちゃんに見せては 「ここでモンスターが出るんだよ」 「ここに止まったら三回休み~」 ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」 と相づちを打ってくれる。 それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。 やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ 家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、 「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。 先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。 遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。 開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。 モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか 妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。 最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に 「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」 人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。 ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
小学時代 髪をストレートにする秘訣は熱いお湯につけた後すかさず寝ることだ と友人に教えた。 次の日獅子舞みたいな髪型の友人が登校してきた。 彼女は些細な嘘にもよく騙されてくれた。 中学時代 弁当のメニューはゆで玉子が好きだという友人に 手軽にゆで玉子を作る方法としてレンジでチンを勧めた。 次の日鬼のような顔で叱られた。 実にイジり甲斐のある性格だった。 高校時代 何度も古文の活用変化の同じ所でつまずく俺をみかねた彼女は急に耳が悪くなった俺のために教室内で何度も大声で「あなる」を連呼した。 テストは俺の方が点数がよかった。 自分のことのように喜ぶ彼女に今度は俺がアナルについて詳しく口頭で教授した。 しばらく口を聞いてくれなかったが。 今日 俺と住居、名字を同くにすればいかに幸福になれるかについて彼女に熱く熱弁を振るった。 彼女は今回も俺の口車に乗ってくれた。今、笑顔が直らない